VOL.92「美しい言葉」

2011/07/06

甲子園で熱戦が繰り広げられる高校野球は日本の春夏を彩る風物詩にもなっている。「栄冠は君に輝く」の旋律と溌剌とした選手代表による宣誓の声は快く耳に響く。

ところが宣誓の中に「・・・多くの人に感動を与えたい・・・」といった言葉を近ごろよく聴くようになった。心の中でそう思うのは勝手だが、言葉に出すのは如何なものかと思う。顧問の先生からの助言がなかったのかと思う。大体「与えたい」は、上からの言い分ではないか。それに「感動は自発的な心情の高まりで他から与えられるものではない」などと言いたくなる。とは言え「感動していただければ幸いです」とか、「感動していただけるように頑張ります」などと営業マンのようなセリフも相応しくない。日本語の難しい一面でもある。

農耕中心の日本人は土地を守り隣近所との良好な人間関係を保つために昔から繊細な気配りと言葉遣いをしてきた。

複雑な敬語の多用や男女の言葉の相違も特質としてあげられる。

新任教師が「田中先生は授業中でございます」と電話で話しているのを、先輩教師が「先生はつけなくていいですよ」と注意したら、その電話は田中先生の奥さんからだったという。こんな話も聴いたことがある。アメリカから帰国したばかりの外交官のお嬢さんが「オイ、そろそろ授業始まるぞ」と叫んで周りの生徒を驚かせたと言うのである。そう言えば女性言葉の「・・・ことよ」「・・・わ」などは昔の小津安二郎の映画作品等の中でしか聴かれなくなってしまった。先日訪れたTJGという女子校では「ごきげんよう」という女子校特有の雅語がまだ用いられていた。

敬語や女性語は封建社会の名残という向きもあるが日本人の心根の優しさの発露と考えたい。

卒業式では在校生送辞と卒業生答辞の応答があるが、大抵の学校は予め教員が言葉の誤用や不適切な表現等々、生徒の真情や自主性を損ねない配慮をしながら助言を与えている。折りに触れ自らは勿論生徒の言葉遣いにも注意を払って美しい日本語を守り育てるために教師が一役担いたいものである。

2011/7/6 彦井 脩

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