VOL.63「建て前の功罪」

2010/11/24

「夢を持とう。
そして夢に向かって一歩を踏み出そう。
その時夢は目標に変わる。
目標が定まれば努力できる。
目標達成に向かって努力しよう。
夢は見るものではなく叶えるものだ。
」教師は生徒に向かってこういった話をよくする。
あたかも努力は必ず報われるかのごとく受け取る生徒もいる。

努力の甲斐あって本願成就すれば「メデタシメデタシ!」ハッピーエンドとなる。
しかし努力は必ずしも報われない。
真面目な生徒であるほど「良い結果が得られなかったのは努力が足りなかったからだ」と自分を責めて自らを窮地に追い込んでしまう。
さらなる闘志を燃やして挑戦を続けてくれればいいが、力尽き全ての意欲を喪失してしまう者もいる。
いわゆる燃えつき症候群といわれる症状である。

先日文庫本を読んでいたら「学校は努力する尊さを教える場所である」という一節があった。
「努力する尊さ」を実感させることが大切で、結果を拘泥するようなことはあってはならない。

校則や校長や教員のコメントはあくまでも建て前を表している場合が多く、親も生徒もそれを十分に分かった上で建て前と本音の微妙な意味合いを察知して、程々に阿吽(あうん)の呼吸で対応しているからうまくいっているところもある。

携帯電話の校内持ち込み禁止の学校などいい例である。
こんな便利な現代生活の利器を禁止するのは愚行に思えるが、許可すれば授業中にメールのやりとりもするだろうし、ルールを守ること、忍耐力を養成することにもなる。
建て前としては禁止だが大目に見ているところもある。
授業中「先生、トイレ行っていっすか?」「いいよ、ただトイレに妙なモノ持ち込まんように持ち物検査させてもらうよ」「先生、もう少しガマンできそうです。
」こんな会話が交わされることもある。

杓子定規(しゃくしじょうぎ)に生きるタイプの生徒にはこれが通用しない。
真面目に生きているだけに対処が難しいが、ものごとには右と左だけでなく、「やや右」も「やや左」も「右に近い左」「左に近い右」もあることを話す機会があってもいいと思う。

2010/11/24 彦井 脩

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