VOL.62「功名心」

2010/11/17

手柄を立てて名を上げることが「功名」である。
アメリカ人の大好きな「英雄」になることで若者なら誰しも憧れる。

先生の出した誰も解けない問題を一人だけ解くことができたりしたら、子どもたちにとって正に英雄であり、功名心も満たされることになる。

先生が「擬人法」を説明している時に、黒板に「雁擬」と書いて、手を上げて「読める人?」と言う。
まわりを見渡しても手を上げる人は誰もいない。

ふだん目立たず口数も少ない生徒がおずおずと手を上げる。
先生が「おぉ」といった顔で「分かるか、言ってごらん」とニッコリする。
「ガンモドキ」と答えると、「正解!凄―い!」と拍手する。
みんなも口々に「凄―い!」と賞賛の眼差しを向ける。

こんな風景が学校ではよく展開される。

外向的ではない寡黙な少年にとって、表舞台とでもいうか正に一挙に檜舞台に登場したようなものだ。
しかも喝采を浴びるのである。
この生徒に対する周囲の対応に変化が生まれるのは極めて当然のことである。

家に帰って、夕食の一家だんらんの時にでも「今日学校でこんなことがあった」と報告したら、親は何かホッとするものを感じるだろう。
日頃大人し過ぎる我が子が学校でイジメに遭ったりしてないかと心配していたら尚更である。

「雁擬」といった熟語をたまたま知っていただけのことで、人格や創造力とは全く次元の異なる要素ではあるが、少なくとも周囲の生徒たちから一目置かれることは確かである。

英語や数学の授業では、ほぼ仮死状態の生徒が体育祭になった途端に、俄然生気を取り戻すこともある。
文化祭も同様である。

そんな生徒をグランドやイべント会場で見かける度に微笑ましく、なぜか救われたような思いにさせられる。

学校も教師も、生徒の功名心を巧みに刺激するような機会を時にはつくってやることも大切に思われる。

2010/11/17 彦井 脩

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