VOL.55「残心」

2010/09/29

高校1年生の時、関西の学校から東京の学校に転校したら珍しいことに弓道部があった。
弓道場は場所をとるし、危険もともなうので都市部の学校ではほとんど見かけない。
大した意味もなく興味半分で入部させてもらった。
それが50年以上も付き合う関係になってしまった。

28メートル先の直径36センチのマトに矢を打ち込むだけの極めて単純な武道である。
28メートルは15間をメートル法に換算した数字で、1間半の槍をもって対峙した時の両者の進退の間合いからきたもので、36センチは平均的な男子の胴の幅からきたものといわれている。

矢を放つまでの手順を、「射法八節」といって八つの段落に分けている。
弓を引き絞ったところを「会」といい、放すことを「離れ」、矢が発射された後を「残心(身)」という。
「会」と「離れ」は仏教の用語「会者定離」からきている。
矢は「放つ」ものではなく満を持して「離れる」ことを理想としている。

「残心(身)」だが、武道では技をきめた後さらに反撃に備えて気持ちを緩めず気魄と姿勢を保つ。
芸道では余韻に感謝の気持ちを込めるということになろう。

この「残心」という語に日本人の美意識を感じる。
技の終わりに心が途切れることなく余韻を残すという思いに奥ゆかしさを感じる。
千利休は茶道における残心をこんな歌にまとめている。

「何にても置き付けかへる手離れは恋しき人にわかるると知れ」(茶道具から手を離すときは恋しい人と別れる時のような余韻をもたせよ)とある。

先日、冲方丁の「天地明察」を読んでいたら、主人公の渋川春海が会津藩主の保科正之と囲碁の激しい対局の後、「気息の乱れを察知されないよう“残心の姿勢”を保って盤上の石を整理している。
一局終えたからといって気が緩むようでは碁打ち衆の一員とはとてもいえない」という描写があった。

ものごとが終わってなお、心を尽くすという繊細さは日本人ならではのものである。

1時間ごとの授業にも残心をしっかりとる教師でありたいものである。

2010/9/29 彦井 脩

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