Vol.50「余計な一言」

2010/08/25

授業中生徒がうるさい時、黙って最も騒がしくしているあたりを注視する。
教師の異変に気づいた生徒たちは口を閉ざし静かになる。
気づかずに喋り続けている連中も慌てて静かにする。

多くの教師がよくやる常套的な手段である。
ただ問題はこの後である。
最後までうるさくしていた連中の方を見て、「黙っていればいい気になっていつまでうるさくしているんじゃないよ」などと余計な一言を発してしまう。
さらに続けて「だから成績も上がらないんだよ」まで言ってしまう教師もいる。

生徒側に立てば「オシャベリくらいでそこまで言うか?」さらに「だからアンタは生徒から嫌われるんだよ」となる。

生徒が静かになったところで、ニッコリ笑って「よし!さあがんばろう!」と爽やかに授業を再開するのとではえらい違いだ。

余計な一言で後悔した経験を持っている人は少なくないと思う。

ことばの最後に、ボソッと発する一言で相手の気を損ねることは往々にしてよくある。
日本語は述語が最後にくる。
好きなのか嫌いなのか、愛しているのかそうではないのか文末まで確認しないと分からない。
だから日本人は最後の言葉に敏感になる。

あれこれ詳しく説明したあげく、最後の「ボソッ」に本音が出て「これは大した問題ではないんですがね・・・」などとやられたら、今まで真剣に聴いていた私は一体なんなのと頭に血がのぼる。

教師には概して「余計な一言」派が多い。
昔小学校の教師を「訓導」といった。
教師になった時点で潜在的に生徒を教え導くという使命感が生まれ、何かにつけて忠言を発したくなるのかもしれない。
ところが慣用句にあるように「忠言は耳に逆らう」のが常で、反感を持たれるのがオチのようだ。

最後の一言には、余計な一言ではなく明るく心に届く褒め言葉の殺し文句一言を発したいものだ。

2010/8/25 彦井 脩

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