Vol.48「言い訳」

2010/08/04

自分の子どもの頃もそうだったが、人は何をするにも思うようにならないとき、その責任を押しつける対象をさがすのが常のようである。

幼児が早くから憶える言葉の一つに「だって・・・」がある。
人は生まれながらにして何か理由をさがしては責任転嫁する資質を身につけているのかもしれない。

先日、小学校の同窓会があり、その後の二次会は学年会になった。
1学年が二学級で卒業後はそれぞれにクラス会は開いていたが学年会は珍しいことだ。

「キミあの事件憶えてないの?」
「だって、いつも廊下に立たされてたんで授業中のことは憶えてないよ。」
「思い出した!キミ、隣の教室の前でよく立ってたよね。」

そんな楽しい会話が飛び交った。
ここでも「だって」が盛んに使われている。
イイ歳になっても子どもにもどると「だって」がやたら使われるからおかしい。

自分を客観視できるような大人になると、責任回避を指摘されるのを懼れて「でも」も「だって」も使わなくなるのかもしれない。

大人になっても基本的な生き方に変わりはなく人生が思うようにならないとき、その責任をなすりつけるものを探し出す。
ただそれが表にでないだけのようだ。

大人になりきれていない世代の生徒を何十年も見てきたが、責任転嫁や責任回避型の傾向の強い者ほど自尊心が強いように思われた。
うまく行かない問題に正面から取り組んで自分の能力の限界を知ってしまうことが怖いからなのだろう。

彼らは自尊心に固執するあまり責任を他になすりつけるか、そういった場面に遭遇しないようにするか、何をするにも全力を出さないようにするかであった。

もちろん、本人にとってなんの解決にもならない。
確かに問題に向き合い解決するために努力するのはつらい作業だし、その結果さらに深みにはまればさらに傷つく。

青春時代は美しい場面が展開されることより、むしろ厳しい現実に直面し自尊心が傷つけられることが多いこと、多くの挫折から逞しい精神が磨かれること、責任の転嫁や回避からは何も生まれないことを教師は素直に生徒に伝えたいものだ。

2010/8/4 彦井 脩

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