Vol.39「思い込み」

2010/06/02

私は子供の頃、「タラコ」が鱈(たら)の卵であるように、「メンタイコ」も「めんたい」という鯛(たい)に似た魚の卵だと思い込んでいた。

こんな他愛ない思い込みなら罪はないが、対人関係となるとそうはいかない。

特に教師と生徒の関係となると何かと心しなければならない。
生徒にとって最もイヤなことは、良きにつけ悪しきにつけ「あの子は○○な生徒だ」と決めつけられることだ。

私は中高一貫校の女子校に32年、男子校に13年勤めたが、成長期の6年間の生徒の変わりようは目を見張るものがあることを実感し続けてきた。

教師は日々新たな目で個々の生徒を見なければならないとつくづく思ったものだ。
昨日の太郎君、花子さんと今日の太郎君、花子さんは違うのである。

とかく教師は自分の担当教科の成績だけで個々の生徒の能力を判断する傾向がある。
また、一度悪さをして叱った生徒はなかなか見方を変えることができないもので、生徒の方も「あの教師から悪のレッテルを貼られた」と思い込んでしまう。

教師は特に生徒に対する悪い思い込みは持たないように努めるべきだ。
できることなら前に叱った生徒に出会ったら気軽に声をかけたいものである。
私はニッコリ笑って「キミもう悪い事してないよね」と明るく言ったりしていた。
なかには「先生、ボクもいつまでもコドモじゃないっすから」と言ってくれることもある。
「そうだよな」と言って別れる時は実に爽やかな気分になれたものである。

中学1,2年の頃は何かというと悪事をはたらいていた悪ガキが優等生で高校を卒業していった生徒を何人も見てきた。
本人には悪いが6年間で猿から人間への進化の過程を目の当たりにした気がしたものだ。

人はとかく思い込みや決めつけに陥りやすい。
人の側面だけ見て好悪を決めてしまったり、血液型や星座で人格を類型化したり仕分けしたりする。

瞬間、瞬間の連続を人生ととらえるならば、固定観念にとらわれない柔軟な心を養って常に新たな目で生徒を見ていたいものである。

2010/6/2 彦井 脩

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