Vol. 29「自覚」

2010/03/10

「ハーイみんなセンセーの方をよく見て!」とか、「センセーのところに集まって」こんなセリフが学校ではよく飛び交う。

もちろん、「センセー」は自分自身を指している。教師は一人称の代名詞として「私」や「ボク」の代わりに「センセー」をよく使う。ところがなんの抵抗もなく自分をセンセーとはなかなか言えないものである。

わたしは45年の教師生活を通して一度も自分を「センセー」と言わずに終えてしまった。教師としての自覚がなかったわけではないが、どこかに「センセー」と言われるほどの人間ではないという気持ちがあったのかもしれない。

生徒が一斉に勝手なことを言い出したとき、思わず「お父さんの言うことを聴きなさい!」と言って生徒に笑われた同僚がいる。彼は先生より親としての自覚をしっかり持っていたのだろう。

自分を平気で「センセー」と言えるようになったら一人前の教師だと言う人もいるが、どうもそうばかりとは言えないように思える。新任で初めて教壇に立った時から「センセー」という自称代名詞をためらわず用いる人もいる。教師としての立場を常に自覚していたいのかもしれない。

では、自分が教師であるという実感はどんな時に持つことができるのだろうか。若干感傷的に過ぎるかもしれないが、生徒と共に何かを成しとげたという達成感を味わえた時かもしれない。
生徒と良い1時間の授業を持ったことも当然該当する。

私のいた学校は、毎年文化祭の入場門が生徒の大きな関心事になっている。生徒有志によるメンバーが設計図から作業工程まで綿密に計画を立てる。余裕をもって取り組むが完成は開催前夜になることが多い。出来上がった門を前に、生徒と担当の若い教師が喜び合う感動的な場面が毎年のように展開される。こうした達成感を生徒と共有する経験を繰り返すなかから教師としての実感と自覚が生まれるように思われる。

胸を張って生徒に向かって「センセーに注目!」などと言っている先生の爽やかな姿はいつ見ても気持ちのいいものである。

2010/3/10 彦井 脩

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