VOL.233 思いやる

2014/09/17

東京オリンピック招致のプレゼンで滝川クリステルが言った「オモテナシ」が話題を賑わしたことは記憶に新しい。果たして日本人の「オモテナシ」の真意が外国の人々にどう響いたか定かではないが、好印象を持たれたことは確かなようだ。

「オモテナシ」は「思いやる」心があってこそ全うされる。日本人の他を思いやる心や気遣いは誰もが認めるところである。人に何かプレゼントするにも相手に心の負担を負わせないように「粗品」などと書いたり、入院している人を見舞う時も「たまたま近くに来たものですから・・・」と言ったりする。

外国人には、こうした日本人の奥床しい心配りは分りにくいと思われる。「なぜ粗末な品を贈るのか」とか「なぜたまたま近くに来たと添えるのか」と理解に苦しむだろう。残念なことに日本人の中にも「日本人の婉曲的な物言いが誤解を生みグローバル化を妨げる因子になっている」と主張する人さえいる。

日本人のコミュニケーションは相手の気持ちに寄り添うことを基本にしている。子どもを叱るときも「そんなことを言われたお友だちはどう思うかな?」とか、好き嫌いの激しい子どもに「○○くんのために美味しく作ったのにママ悲しいな」と言ったりする。「ダメだ!ユルサナイ!」などと一方的に親の権威を振りかざすようなことはしない。こうした環境に育っているから順番を待つ列に割り込んだりしない人格が形成されるのである。日本語の「人間」は人間関係を表しているのだ。

日本人は「スミマセン」を多用する。「スミマセン!駅はどっちですか」などとよく使う。「足を止めさせてスミマセン」、「貴重な時間を使わせてスミマセン」といった気持ちが込められている。こうした言い方に慣れているので、皿を割って「この皿は今日割れる運命にあった」「こんな所に置くから悪い」とは言わない。訴訟社会の謝罪は全責任を負わされかねないが、日本では謝罪することで信用が高まる。

グローバル化に向けてディベートの苦手な日本人のスキルアップが急がれているが意見の対立する関係にあっても「和をもって尊しとする」日本人の美質を損なわない教育を施してもらいたいものだ。

 

2014/9/17 彦井 脩

彦井先生写真②  

彦井 脩

当社アドバイザー。 昭和38年にキリスト教主義の女子校に勤め、その後、平成4年に男子校に転じ平成20年までの45年間教員生活を続けた。その間、塾や予備校の講師、参考書やエッセイの執筆もする。

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