VOL.222 「先生」という呼称

2014/06/04

「先生と言われる程のバカじゃなし」という川柳がある。先生と言われて得意になっている人を揶揄した言葉である。もちろん主な対象は医師や学校の先生ではなく国会議員や芸事の中途半端な指導者といった人々である。もちろん教師そのものをストレートに対象とする場合もある。当然のことながら裏を返せば、人々の共通認識として先生という呼称が強い尊敬の念を持っていることも分かる。

NHKでは医師も大学の先生も「○○さん」に統一しているようだ。慶應義塾大学では「先生」は創立者の福沢諭吉以外には用いず、付属の幼稚舎から教員を「さん」づけで呼ぶそうだからそのこだわりは半端ではない。

ひと頃水商売の人たちはお客を取り敢えず「社長とか先生」と呼ぶことがあった。

社長はお金持ちを象徴し、先生は知識人を象徴させた言葉であったようだ。会社の会議でも出資者の社長が最高の発言権を持ち、次は懸案事項に最も精通している者である。言うなれば金持ちと知識人がキーパーソンになるということだ。

お金持ちになるには資質や運など多様な要素が関わるが、本来の意味での先生と呼ばれるような知識人になるのは本人の努力に負うところが大きい。

「知識は力なり」と言ったのはフランシス・ベーコンである。旧約聖書の言葉を踏まえた言葉だそうだ。人間の知識と力は一致するという。自然にある法則を知り多くの知識と情報を集積することで優れた結果を生み出す力が生まれるというのだ。

教師となったからには幅広く教養を深め、豊かな知識が力ある者より強い力を発揮できることを身をもって生徒たちに伝えたいものだ。

中高の教師は無条件で生徒や保護者から先生と呼ばれる存在である。できることなら「先生と言われる程のバカじゃなし」と揶揄されないような高い見識を身に付けたいものだ。電車などで中高生のオシャベリを聴いていると、よく教師を「先公」と言ったり「田中が・・・」「佐藤が・・・」と先生を付けずに話している。教師自身も自称代名詞の「ハイ、先生の方を見て!」などと言い難い。私はまず言わなかった。しぜんに生徒から敬意の「先生」を付けてもらえる教師になりたいものだ。

2014/6/4 彦井 脩

彦井先生写真②  

彦井 脩

当社アドバイザー。 昭和38年にキリスト教主義の女子校に勤め、その後、平成4年に男子校に転じ平成20年までの45年間教員生活を続けた。その間、塾や予備校の講師、参考書やエッセイの執筆もする。

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