Vol.2「共に高みを」

2009/08/25

かつてYという有名塾で教えていたことがある。
優秀児が集まり独占的に難関校の合格者を輩出する塾であった。

6年生優秀クラス国語の授業で、抜群に速く問題を解くK少年がいた。
「君はなぜ速いの?」と訊いたら、「問題文を読む時、問いと答えを予想します」と言う。
確かに彼の問題用紙を見ると、これぞという箇所に囲みが施してある。

たぶん、読了時には彼の頭の中には問いとその答えのいくつかが明瞭に浮かんでいるのであろう。

K君は5年生で国語は苦手だという。
6年のクラス編成のテストを受けたらパスしたそうだ。
自分の5年生のころを思い出すと、いくら戦後の世情不安定な時代とはいえ、ろくに勉強もせず無為に日を送っていた。
そんな自分がK君のような逸材を教えていいものかと忸怩たる思いに駆られた。

K君に限らず、長い教師生活の間には東大に現役合格するといった優秀な生徒ともめぐり会った。
自分のことはひとまず棚にあげて生徒に対応するしかないと割り切って授業に臨んでいたが釈然としない気持ちには変わりはなかった。

それが、内田樹氏の合気道について書いた文章の一節をたまたま読んで、見事に積年の思いが解消した。

「師は越えられないが、師と向き合うのではなく、師と同じ高みを見ることはできる」といったような一節があった。

これだと思った。

生徒と対面するよりも、生徒と同じ高みに向かって共に学習する。
そうした教師と生徒の関係を構築することだ。

もう少し若い時代に眼にしたかった一節である。

2009/8//26 彦井 脩