VOL.193 水雷艦長

2013/09/11

私は戦後、北海道の疎開先から東京に出てきた。上野から王子駅に出てホームに立つと見渡す限り焼け野原だった。まだ小学校に入る前だったので、その光景は後々さまざまな生活を経て心に形象化された戦後の心象風景かもしれない。

当時は遊び道具などなく「水雷艦長」という二手に分かれて敵の艦長を奪い合う遊びに熱中した。遊び方は、団体戦で艦長艇は1名、水雷艇は若干名、その他は駆逐艇、艦長艇は駆逐艇に勝ち、水雷艇は艦長艇に勝つが駆逐艇に負ける。艦長が奪われた時点で負けとなる。ジャンケンと鬼ごっこを合わせたような遊びだ。

艦長は帽子を正面に被り、駆逐は横に、水雷はツバを後ろ向きか無帽。学帽を被らなくなって、この遊びは次第に消えていった。いかにも戦時色の濃い遊びだったが、攻め方の作戦、捕虜の収容、捕虜救出の手段等々あり面白かった。足の速さがカギとなる遊びで、両軍で最も足の速い者が艦長、二番手は水雷。水雷の人数はその場で決めるが多くても5名、少数で戦うときは2名程度だった。もちろん艦長は名誉だが、なんとか水雷にはなりたくて走力に磨きをかけた。

中1くらいから小3くらいまで参加し、リーダー格の年長者が両軍の年齢や走力が均衡するように人数割りから、基地の場所まで決めた。昔は兄弟が多かったせいか大きな子が弟や他所(よそ)の小さな子供達の面倒をよく見た。当時はテレビもゲームもなかったが遊びを通して体力も知恵も周辺の人との付き合い方まで身に付けた。毎日退屈することなど全くなかった。戦後の子供達は正に粗衣粗食、みすぼらしい格好で絶えず空腹を抱えていたが今の子供達よりずっと幸せだったように思う。

今昔の遊びの違いはルールの厳格さだそうだ。確かに昔の遊びは人数や場所に応じてルールを自由に変えていた。そうした遊びのゆとりが子どもの成長に大きく関わっていたように思う。年長者は小さな者達を上手く束ね作戦を立て、個々の個性を活かしチームプレーを教え込む。小さな子は自分の立ち位置や役割を学んだ。多少カタチが変わってもこんな小英雄達が活躍する世界が再来したらいいなと思う。

2013/9/11 彦井 脩

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