Vol.12「猫に小判」

2009/11/04

日常生活でよく使われることわざに「猫に小判」がある。
同じ意味に用いられるものとして「馬の耳に念仏」「犬に論語」などがあげられる。

この類のことわざは世の東西を問わずどの国にもある。
欧米では「豚に真珠」がよく知られているが、これは聖書のマタイによる福音書7章6節「神聖なものを犬に与えてはならず、真珠を豚に投げてはならない」から生まれたという。

中国では「対牛弾琴」(牛に対して琴を弾ず)や李白の詩に由来する「馬耳東風」、(春風が吹くと人は喜ぶが、馬は何の感動も示さない)がある。

それぞれに説得力はあるが登場する動物たちは気の毒である。

彼らにとって小判も真珠も不要のもので、価値観の違いをとやかく言われるのは理不尽なことだ。

価値観を共有することはかなり難しい。
しかし相互にどんなに
異なった生活上の背景を持っていてもこの点で一致していれば同じ目標に向かって人は歩むことができる。

教育に携わる者は、まず対象となる生徒の価値観をよく見極めることから始めなければならない。

間違っても自分の価値観やものさしを優先したり押し付けたりするようなことがあってはならない。

ましてや、いくら授業を真面目に受けない生徒が多くても、「自分の授業は生徒にとって、正に馬の耳に念仏」だなどと思い上がった判断を下すような教師は手の施しようもなく救いがたい。

だからといって、無理に生徒の価値観に合わせる必要はない。

ただ生徒はいくら生意気なことを言ったところで子どもである。

大人になるまで価値観も紆余曲折を繰り返し変わっていくのである。

教師は生徒の人格形成期に立ち合う責任と重さを感じ、彼らの価値観がより高尚かつ高邁なものに育つように共に学ぶ姿勢が大切ではないだろうか。

2009/11/04彦井 脩

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