VOL.115「生きる力」

2012/01/18

タコやナマコを最初に食べた人の勇気はよく話題になる。

茂木健一郎氏の文章を読んでいたら、「自然の中のさまざまな森羅万象をいかに整理し選択するかが私たちの祖先の脳にとって大命題だった」と書いてあった。確かに彼らが飢餓の中で「生きる」ために身体を張って挑戦したお陰で、今私たちはウニやナマコを賞味しているのかもしれない。

現代人の私たちは「生きる」ために身体を張るといった未知との遭遇などあまりない。子どもが学校で教わることの多くは科学的に体系化された内容である。理数系の科目はもちろん、音楽や美術も、国語や英語で扱う詩などの芸術作品でさえ体系化された鑑賞の基準に沿って指導され授業が単なる既成概念の受け渡しの場になっている。

本来学校は各教科を通して「生きる力」を養う場である。ところが公立校も私立校も進学率アップを目標に予備校化している。
偏差値をあげ難関大学に進学し、良い就職口が待っているというなら、それも「生きる力」になるのかもしれないが単に環境が調っただけにすぎない。与えられた環境を有効に活用して如何に意欲的に生きていくかが問題なのだ。

長く教師生活を続けて中高生をたくさん見てきたが、昭和から平成になって特に際だった変化はないが、気質が小さくまとまってきたように感じられてならない。

ひと頃は電車に乗っても、眼を背けたくなる絵に描いたようなワルの中高生がたくさんいたが、近ごろはあまり見かけなくなった。破天荒なワルもいなくなったが目力のある生気溢れるエネルギッシュな若者も少なくなったように思う。祖先たちが食料の確保に努めたような切実感のある生の体験や感動の機会が乏しく、ヴァーチャルな世界に囲まれていることに起因しているのかもしれない。

わが国は受難の只中にある。今こそ次代を担う子どもたちが既成の概念から解放された生の感動をたくさん体験してほしい。
学校も教師もそうした「生きる力」を養う舞台づくりに一役買いたいものだ。

2012/1/18 彦井 脩

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